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不安の種を解決する42

いよいよ人生本気で楽しもうじゃないか。そして、くぅおんは今日も行く

徒然なるままにヒグラシあやかしに向かひて

マヤ暦のアドバイザーの方が多忙につき、旧盆休みも兼ね「本日のタオイズム」はしばらくお休みします。
かわりといってはなんですが、今日は過去ログから懐かしい記事を一つお届けします。

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プロローグ

中学の三年間を祖父の故郷である宮古島で過ごした。

卒業した中学も祖父の歩んだ学校だ。祖母もまた地域はことなれど同じ島の出身だった。

祖父母は若い頃に各々台湾へ渡り、そこで出会い結婚し私の父が生まれた。

父が生まれてしばらくして終戦を迎え、反日感情が激しくなったためにやむなく台湾を後にしたという。そしてその後、石垣島へ移り住み、父は結婚し私が生まれた。

石垣の実家が立ち退きになったのをきっかけに、祖父母の故郷・宮古島に引っ越した。

通う中学校のほど近くには先祖の墓もあり、祖父の生家と共に先祖から引き継いだ田畑が残っていた。

幼少期に何度かお参りにきたことがある。最後に訪れたのは確か、曾祖母の洗骨に来たのが最後じゃなかっただろうか?

 

「Uダキ」。

地元ではそう呼ばれている。島では一番の高台にそのウタキ(沖縄呼称の聖域)は君臨していた。

大人になってから聞いたのだが、その場所は宮古島でも札付きの心霊スポットらしい。

そしてそのウタキは、祖父の生家のアガヴカタ(東の方)にあった。当時住んでいたところは、ウタキ近くの祖父の地元ではなく、その山を北へ越えた集落にあった。

平地ばかりの島だ。遠く離れた場所からでも、南側の玄関を開け放つと目の前にその岳は広がっていた。

 

突如倒れこんだ先輩、浮かび上がる“曰く”

初めてそのウタキを訪れたのは、通う中学の新入生歓迎会か何かだったんじゃないか、と記憶している。見晴らしのいい高台にあって、ちょっとした公園も併設している。150人にも満たない全校生徒でその頂上を目指して歩いた。

レクレーションや弁当の時間を楽しく過ごし、自由時間がやってきたので先輩らと公園の周辺を散策した。

「散策」とは聞こえはいいが、素行いいとは言えなかった先輩なので先生方の目を盗んですることといえば・・・・

先輩らとやってきた場所は、メイン広場から少し離れたどんよりした空間。いくらおしゃべりは楽しかったとはいえ、嫌な雰囲気だったのを憶えている。

これも大人になってからだが、そこがUダキとセットのウガンジュであることを知る。セットというよりこの自然公園全体が聖域のようだ。

言葉通り「一服」を終えた一人の先輩の様子がおかしくなった。気分が悪いから先に広場に戻る、とそのウガンジュから出た。気になったので私も後を追った。

すると、広場へたどり着かないうちに顔が見る見るうちに青ざめたかと思うと、遊歩道でパタンと倒れてしまった。

慌てて先生を呼びに走った。先輩はすぐに保健室の先生と共に学校へ帰っていった。

 連鎖するように、今度は私の同級生が気分が悪いと座り込む。他生徒がざわつき始めた。

「ここさ、幽霊が出るって有名なんだよね」同級生の一人が運ばれる友を眺めながらポツリとつぶやいた。

 家に戻って祖父に今日あった出来事を伝えた。酒に酔っている時以外は無口な祖父だが、私が話をするときは聞く素振りはする。しかしその日は興味がないのか、ただ庭に立ってその丘の頂上をじっとみつめていた。

 

つづく