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不安の種を解決する42

いよいよ人生本気で楽しもうじゃないか。そして、くぅおんは今日も行く

宮崎・日南と鹿児島は霧島の旅を振り返る

10代の心霊スポット巡りから始まって(良い子の皆んなはマネしないでね)、20代半ばからスタートした聖域という意味でのパワースポット探索。もうかれこれ20年にはなるわけだ。

なまじ霊感を扱った仕事をしているものだから、不本意な場所もあったけども、いずれも振り返ってみて思うのが、人間は土地に生かされてるんだよな、ってこと。

植物から思考する力をもらって、水や風から根源の力をもらう。

霧島の高台に在って、静かに佇んでいると明日突然終わるかもしれない人生だけど、精一杯生き抜こうと思うわけだ。

こんなに素晴らしい大自然の中をトレッキングしながら、ずっとご近所さんの悪口を言ったり、すれ違うトレッカーのファッションを愚痴愚痴いう50代くらいの女性には驚いたが(後ろを歩いていた)、こういうことも学びだな、と思える。

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私の暮らす沖縄のやんばるも、“山原”と書いてやんばるというように中々大自然豊かなんだけど、森や川、海をみない人ってのはいる。

もったいない、とかそういうことではなくて、こういう人と緑の少ない都会で暮らす人はほぼ共通点がある。私の僅かな統計だからアレなんだけど、考える、つまり自らを振り返る思考をぎゅっと押し込めている人が多い。機能的に仕事をこなさないとならないのだろう。感情が突然噴火の如く起きるからせわしない。

喜怒哀楽も心身のクールダウンの一貫だから、悪いことではないけど、元気でなくなると肝臓を傷める人が多いのも特徴だ。

こうしたことも杜の中で佇むことで教えて頂いたというか気づいた。

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同じ大自然の前に立っても人の感じ方がそれぞれ、というのも面白い。

全体のバランス(紅葉の彩りなど)に感動する人、心地よい風や香りを真っ先に表現する人、すぐさま足元の植物や岩を撮り出す人、鳥のさえずりを探す人、或いはそのすべてが一気に入ってきて嗚咽する人もいる。

人の人生には物語がある。色んな人が日常の様々なものを背負って、たまたま今この瞬間、同じ空間を共有しているけど、それは人生のワンシーンに過ぎず、されど壮大な瞬間でもある。

言葉は交わさずとも、杜っていうのは何かこう奥底から記憶がわき起こるような、皆そんなことに導かれてやってくるんだろうな、と改めて思った。

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神社には、そうした根源的な自己と対峙するエネルギーというか、そういう力が祈るという行為を通して頂けるかどうかなんだと思う。

さきほどの森はあってもみない人がいるように、コチラ側の感じ方や姿勢も重要になる。

こういうまどろっこしい理屈すらもぶっ飛ばす神社が最も素晴らしいパワースポット、聖域としての威厳だろうな。

今回は、夢で祖母が教えてくれた「鵜戸神宮」からたまたまの「霧島」までぶっ飛ばす旅だったけど、自分の中でカチッと何かがはまって言葉には言い表せないけどすごく納得がいくというか合点がいった。

この旅には“全部”があった。どんな“全部”かはまだ考えていないけどそんな気がする。

今日はなんだかノスタルジックな記事になったけど基本あっさいので大丈夫(`・∀・´)